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2007年7月30日 (月)

かりうむ、リトバスにっき

 
 ああ、おれは孤高のレビューマー狩生さ。
ちなみに、狩生は『かりう』と読んでくれ。下の名前?
 そうだな・・・武だ。
こいつをなんと呼ぶかで、きみの人生は、大きく動く!
・・・かもしれないようなしませんすいません。
 

 さあ、レビューの時間だ。
 最初に言っておく・・・

おれは!かーなり!泣いた!!!
 
 ちくしょう、さすがkey!オレ様を泣かすとはただ事じゃないぜ!
 
 ああ、泣き方は、各自推測してくれ・・・
男泣きかもしれないし、忍び泣きかもしれないし、背中で涙を語っているのかもしれない。
まあ、できればかっこいいのを推測してくれ。おれが喜ぶ。
 
 冗談はコレくらいにして、レビューを書こうか。
 
 美魚ルートの。


 
 ああ、言っておくが、ネタバレ全開だ。
 
 そして、オレは、某大変な事を言っていきました野郎を***なければならんかもしれない。
 自身のあふれ出す、妄想力も恨むぜ・・・
 
 

 
 

 
 
 
 さあ、現実の話をしよう。
 現実だ!そう、目の前にあり、そして流れていくもの。
気付かなければ通り過ぎ、目を向けると絶えずそこにあるもの。
もの、としか言い表すことができないことを許して欲しい。
なんたって、自分で自分が何を言っているのか、よく分からないのだ。
 
 それなのに、なぜ書いたと問われれば、その答えは簡単だ。
 
 胸を打たれた・・・ああ、ただそれだけなんだ。

 現実の対として、虚構という概念を置こう。
 
 対となるということは、この二つは真実同じなのだろう。
例えば、二つの三角形が、かたちは違いこそすれ、
同じ円周上にあり、同じ長さで弧上にあるのなら、円周角が同じように。
 
 さて、この円周角はなんなのか、ここでは、世界の見える角度としようか。
 少しでも弧の長さが違えば、たちまち、角度が変わり、そして決して同一にならないもの。
 長さの違いは、個々人の違いといえる。
同じ円上にありながら、皆が決して同じものを見ているわけではない。
これが世の中といってもさしつかえないだろうか。
 
  
 そして、同じ円上にあり、同じ弧の長さを持ち、そして、弧の位置だけが反対側にある二つの三角形。
 はたして、この円周角は異なるのか。
 
 ぼくは、現実と虚構をこのように捉えている。
 立ち位置だけは異なるが、その他のものが全て同じもの。
 
 この二つは簡単に区別はつく。すなわち、自分の側にあるものが現実だ。
 そうならば、いま、虚構と感じているものも、次の瞬間には、現実に置き換わるということが、
もしかしたら、ありえるのではないか。
 
 そう考えると、現実、いや、むしろ自身の立ち位置がとてもあやふやに感じてしまう。
 自分の足場を見失うということは、自分の積み上げてきたものすべてが揺らめくということか。 
 過去の消失。それは、とてつもなく恐ろしいのでは無いか。
 

 虚構が現実、現実が虚構。ふたつの間には、何がある。
 溶け合う境界は、水平線上の海と空の白い融合。
 透明な空気の連続が、青い空を紡ぎ、
 透明の水の連続が、青い海をつくる。
 そして、この二つの青の間に生まれるのが、一筋の白い空間。

 この現実と虚構の狭間を目指す者を見たとき、あなたは何を思うだろうか。

 もし、あなたが、今なお円周上に留まり続けるのなら、抉るような消失の悲しみを。
 
 そして、あなたが外れてしまったのなら・・・

 

 

贖罪と、やさしさの物語で、きみを待つ。

 
 
レビュー終わり
 

追記
 

一つ断っておくと、弧の長さは半円の弧以下とする。
 
彼らの現実には、看過できない虚構が混じる。
 
私は、二度泣いた。
一つは、円周上から。もう一つは、外れた後。
 

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